はるとかわ 世界の一隅日記

ハーブと、語学と、日々雑感。最近は香りが気になる今日この頃。

節分


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今週のお題「鬼」。

…鬼。鬼かあ。鬼ですか。

鬼の世界はバリエーションがあっていいですよね。角が2本あったり、1本だったり。青かったり赤かったり。パンイチだったり、そうじゃなかったり。

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人間にも色んなバリエーションがありますし、その多様性に慣れている人たちもいる人たちもいます。一方で、「大体皆同じでしょ?」という姿勢で生きている人もいます。そういう人たちって、割と「あ、自分とは違う」っていうものと出会った時に、笑顔を無くしてしまうんですよね。(もったいないなあ。良い笑顔なのに。)

でもコミュニケーションって、「同じ」部分だのみだったりします。何か共通点が無いと、話のきっかけがない。繋がっていかない。

つまり、何を「同じ」だと思うか、どのレベルを同等とみなすかによって、自分以外の存在である他者への心の開き方のありようが変わってくるのだと思います。例えば、「私は日本語を喋るし、あなたも日本語を喋る」という人にとって、いきなりフランス語を喋ってくる人は「???」となって、困るわけです。一方で、例えば「私は人間だし、あなたも人間」みたいな、きわめて大らかな心の器の持ち主だったら、誰とでも仲良くなれるのかな。知りませんけど。

でも結局、同じ人間のコピーはそうそう存在しないので、同じだと思っていても「やっぱり違った」という失望はあるものです。どうしても、「違う」というものはあるのです。それは避けようと思っても、別に避けられるものじゃない。

「鬼は外」と叫んで、豆を投げつけて、それでその時だけは異質な「違う」ものを見なくて済むかもしれない。でも、相変わらず「違うもの」は同じ地上にあり続けるのです。

自分の中にも、自分が認めたくない部分があるものです。「自分じゃない」部分。自分を自分たらしめる、記憶という名前の主観的な一貫性をぶち壊してくるような、「違う」部分。でもそういうものを排斥するだけじゃ、なんか問題って解決しないのでは?と思ってしまいます。解決しない問題は、ずっとそれを繰り返すだけで引きずって苦しいまま残ります。なんかそれは厭だなあ。そう思って、今年は一人、自分の中の目を背けたいこと・今まで見なかったことにしていたことに、ちゃんと向き合おうと思います。ちゃんと自分と向き合って、対話をして、相手(自分)を知る。それから、平和的に境界線を引いて住み分けるのか、意気投合して一緒に恵方巻でも食べるのか、それともビジネス的な協力体制を築くのか、わからないけれど、少しは前進できるんじゃないかな。

なんて思ったり。ともあれ、皆さま美味しい恵方巻を召し上がってくださいね。